【横浜FC】ルヴァンカップ準々決勝第2戦
京都からJRで神戸市内へ。三宮で一度下車して荷物を預けて、神戸市御崎公園内にあるノエビアスタジアムへ。Jリーグヴィッセル神戸のホームスタジアムで、ここに来たのは、自分が応援する横浜FCがトーナメント戦のルヴァンカップで対戦するから応援に来た。
準々決勝、準決勝は2戦合計での結果で勝敗を決し、3日前の第1戦はホーム横浜市三ツ沢球技場で横浜FCが2-0で神戸に勝利している。

第2戦は、19時キックオフ。日曜のこの時間のアウェー戦は通常なら行かないが関西に所用がありかつ夜行なら翌朝に東京に戻れるのでやってきた。
試合は前半途中で神戸の選手の違反プレー判定により途中一人減り10人でプレーする事態になり、結果的には横浜FC的には有利だが、第1戦の2点リードを意識したのか、もう少しリスクを冒しても積極的に攻めてほしい気もした。後半途中で神戸の大迫選手にゴールを決められた。やはり彼は半端ない。
しかしそれ以上の失点はなくこの試合は0-1で横浜FCが負けたが1勝1敗となり、そうゴール数は2-1で横浜FCがチーム初の準決勝進出!リーグ戦は微妙な残留争いが続いていて、この時期にトーナメントやっている場合かという意見もあるが、あと3試合勝てば優勝というゴールがあり、この段階で賞金2000万をゲットしたのでめでたい。
それはともかく、この公園内に昔の神戸市電が保存されていた。

この電車は神戸市電全廃後に私の故郷の広島電鉄に移籍したが、廃車後に里帰りしたとのこと。室内を覘くと、広電時代の装備品があった。懐かしい。
広電では現在でも旧京都市電が多く活躍しており頼もしいが、以前京都で走っている写真を見ると京都には市電が良く似合っていたのになぜ廃止したのかともったいない気がする。広電でもそろそろ引退の頃だが1両くらい京都に里帰りさせてほしい。
話が飛んだが試合終了後は三宮から夜行列車サンライズエクスプレスで帰京。


目覚めたらもう藤沢近くを走っていた。東京駅には定刻の午前7時過ぎに到着。ここから職場に直行して、仕事場に向かう元気があるのはいい年してよくやるなと思った。
久しぶりの関西は暑くてあわただしかったが楽しかった。機会があればまた訪問したい。
【二十歳の原点】京都に帰る その6
松尾から乗った嵐山線の電車も、桂で乗り換えた電車も私が学生時代に乗ったころと同じ形の電車であった。

予算の関係とはいえ、古い電車をいつまでも使うのは省エネや保守的にどうかとも思うが、この時は懐かしさの気持ちが勝った。高野さんもこのルートで下宿から通学や買い物に行っている。
河原町から歩いて、六曜という喫茶店へ。ここは高野さん存命時から現存している店でありご本人も行ったことがあるというお店。店内は当時から変わっていないとのこと。

ゆっくりしたかったが、この後の予定もあり、市バスで京都駅へ。接客などは私が学生の時に比べて大幅に改善されているが、観光客によるバスの混雑は予想以上であり、京都での生活は以前より大変そうだな、と思った。でもまた高野さんの足跡をたどるためにも再訪したいと思った。
【二十歳の原点】京都に帰る その5
翌朝は、ユースホステルのレンタサイクルで近くの広沢池・大沢池へ向かう。ここは嵐山近くに下宿した高野さんがサイクリングで訪れた地。
この日も暑かったが、田んぼのあたりに白鷺が飛ぶのを見かけると疲れも和らぐ。



どちらも高野さん存命時と大きく雰囲気が変わってないそうで、そういえばこの近くで大学のセミナーハウスに行った時ともあまり雰囲気が変わっていない気もした。
蒸し暑いが、陰に入れば風が通ると涼しく感じる。
ユースホステルに自転車を返し、バスと電車を乗り継ぎ嵐山へ。
ベタな環境だが、渡月橋そばの桜餅の美味しいお店。以前にお土産にしたら好評だったお店は健在であった。エアコンはないが、桜餅と宇治金時で一息入れる。

渡月橋を渡り、阪急電車で松尾大社へ。ここは以前訪れた時に庭園が見事に感じ、ここから嵐山まで歩いた時に、自分はあのバブルの時にこの京都で学生生活を送ったのはその時は本意でなくても結果として良かったと卒業から30年近くたって思った地である。


この日は八朔祭といって、風雨順調・五穀豊穣を祈るお神輿を駅の近くで見かけたが、午後1時を過ぎ、暑さが極限に達したので散策は後日に譲り、松尾駅から河原町まで阪急電車に乗る。
【二十歳の原点】京都に帰る その4
円町からバスで立命館大学へ。ここは私の母校、そして高野さんが学生時代にも似学館
を訪れた事があるとのことで訪れた。

建物の外見は昔と大きく変わっていないが、フリースペースが充実してゴミ箱も増えて快適さが増大した半面、サークルのボックスが見当たらないのはともかく、大学近くの飲食店が見当たらず少しさびしさも感じた。夏休みなので人も少なく、つい母校の校歌を口ずさむ。
衣笠キャンパスを後にした後は、バスで宇多野ユースホステルへ。ユースホステルとは会員制のドミトリーを基本とした宿泊施設である。学生時代にここでユースでの宿泊(ホステリング)の楽しさを知ったり、イベント参加や下宿を引き払った後にはスクーリングの拠点としてお世話になった宿泊施設だ。バスで20分くらいかかった気がした。
この日はここで宿泊した。

【二十歳の原点】京都に帰る その3
バスで「丸太町七本松」へ。学生時代私はこの近くに下宿していたので、久しぶりに訪れる。病院が移転した以外は大きく変わっていない気がしたが、昔駄菓子屋があったところにおしゃれな感じの喫茶店が出来ていた。

ここから、高野さんが自殺直前に住んでいた下宿は歩いて15分もかからなかった。私が住んできた当時はインターネットが普及以前だったから詳細を知らなかったが、今となってはある種の縁をすら感じる。
少し歩いて高野さんが最期を遂げた踏切跡へ。当時は山陰線の列車は地平線の線路だったが、今は高架線となっている。そこで改めて高野さんのご冥福を祈った。

ここからさらに歩いて西ノ京円町の交差点に。ここにも町家を改装した喫茶店があったので、宇治金時を頼んで一息入れる。会計を済ませると店員さんが「おおきに、暑いので気をつけてくださいね」と声掛けしてくれた。

【二十歳の原点】京都に帰る(その1)
暑さのせいもあってか、いつしかブログを更新していませんでしたが、久しぶりに更新します。
9月6日(土)の早朝に品川駅から新幹線に乗り京都へ。

夏富士を見ながら、品川から京都までのぞみ号で2時間足らず。早いなあ。
京都に到着して、駅のホームを歩いて感無量。1993年3月に立命館大学を卒業してからずっと東京で働いていて、何度か京都を訪れたことがあるが、あまり学生時代の事は意識しなかった。しかし今回は違う。つい最近京都で学んだことは結果としては良かったことを実感し、かつ「ニ十歳の原点」は今でも語り継がれているという。それならば舞台となった京都の街を自分の住んでいた時の思い出も交えて、今回は再訪した。
京都に「帰る」という意識を持つのは卒業してから18,000日近くたって初めてだ。
新幹線ホームはあの頃とあまり変わっていない気がした。感慨に浸る間もなく地下鉄ホームに行き、地下鉄・バス一日券を買って烏丸線で国際会館前に行く。理由は「二十歳の原点」で高野さんが栃木県の実家から京都の下宿に戻る途中に、途中東京駅で北山を背景にした国際会館の写真を見て懐かしさを感じたという一文を思い出したからだ。
国際会館前駅で駅員に「北山の見えやすい場所は?」と聞いたがご存じない感じで国際会館の近くにプリンスホテルがあったのでそこで一息入れようと思ったら、喫茶は午後からというので、地下鉄駅に戻り二条駅に向かう。

